このBlogについて

イスラエルや戦後系の戦車作ったり、おっぱいがけしからんフィギュア
作ったり、年中、体のどこが具合悪いと文句垂れるおっさん「サビ屋」のBlogなんやな・・・。

※自転車乗り始めてからババチビりそうな勢いで模型作ってないってそれ前から言われてるから(戒め)

FELTとANCHORと9S下駄の熱い三台体制(活用できているとは言っていない)

2023-03-24

無職が行く東北とちょっとだけ北海道無計画ツーリング 9月11日 くりはら田園鉄道線跡とくりでんミュージアム

 9月11日 「道の駅おおさと」 軒先



ずんだ~~~~!(郷土愛に満ちたアイサツ)

タフなサイクリストのタフな東北野宿のタフな朝は、タフなアイサツで始まるという・・・


というわけで、朝5時起床!もう寝てらんねぇ!寒いしあちこち痛いんですけど!

そんな東北上陸二日目、野宿起床からのスタート。

ふと思ったんだけど、90L120Lのペール袋1枚あればエマージェンシーシートと併せて最強の寝具になったのでわ???と思うけど、今更杉ワロタ




とりあえず、隣のファミリーマートで温めたおにぎりとホットスナック、ホットほうじ茶、プロテイン飲料という最高にゴキゲンな朝食を摂取。
温かい朝飯最高かよ・・・

寒いってのもあるけど、早朝から冷たい菓子パンとかをモリモリ食うような若さが失われたという現実、自分涙いいっすか?

いやー、2020年のツーリングと違ってコンビニのイートインスペース利用制限が緩くなってきたので助かりますワ・・・あん時はコンビニのイートインはまったく使えない、飯屋は開いてないしすぐ閉まるとかそんなんばっかだったし。


そもそも、一般へのワクチン接種すら始まっておらん時に北海道行くとか言い出したわしの豪胆なことよ!ガハハ!(ガハハじゃねぇよ)



国道4号沿いの悲しきオートスナックくん・・・これ、営業しとらんのよね?

で、今日は栗原市エリアの栗原電鉄/くりはら田園鉄道(第三セクター化後に電化を廃止)跡散策と、旧若柳駅を含むくりでんミュージアムが目的。

メーンはくりでんミュージアムであるとはいえ、くりはら田園鉄道時代の終点であった細倉マインパーク前駅跡にも、実に感じのいい凸型電気機関車とデッキつき木造貨車が保存されているようなので、大郷からまずは細倉マインパーク前駅跡が所在する鶯沢地区まで移動。
そこから栗電跡を伝うように旧若柳駅/くりでんミュージアムまで移動し、見学。
ラストは国鉄/JR東北本線・石越駅と連絡していた石越駅跡(「栗電石越駅」など国鉄・JRとの駅名差別化は無かったんだろうか)という流れ。

11日の最終的なゴールは登米市街のビジネスホテル サンフレックスとした。

翌日の移動に対して後退するようなものだが、山向こうの一関市街で宿を取れなかったのか、それとも石越駅から20km以上の移動(登米に対しては10km強)が嫌だったのか、もう覚えてないけど、たぶん後者かな。





途中通りかかった地区で、八甲田山遭難事件における青森歩兵第5連隊の生存者・後藤伍長を讃える看板があり、なんで?と思ったらこの辺りが後藤伍長の出身地であるという知見を得たり。

看板によると、この看板から数キロのところにある泉昌寺が後藤伍長の墓所である由。

あ、だからというわけじゃないけど、今回は青森の八甲田丸とか行くついでに青森の八甲田山雪中行軍遭難資料館も見学しようぜということにしました。

秋田の小坂をあきらめたり、留萌や根室をあきらめる(当たり前である)ぐらいなら、行きやすい場所で色々行こうぜ?という。最初からそう計画せえよ・・・




細倉マインパーク(旧細倉鉱山を観光坑道化した施設)の看板が出たので、もう少し・・・

御不幸があったこの御宅に何か関わりがあるわけじゃないけど、東北というか少なくとも宮城ではこういう葬儀の看板で通夜や本葬、火葬の場所・日時をこと細かくミッチリ書いたり知らせたりする習慣があるのかな。
こっちじゃせいぜい、〇〇家会場とかそういう程度よね?

・・・ホラ、わしが家人葬儀の喪主やった時なんか会葬者が2家4人よ?
それはそれでラクでいいし豪勢にやるマンパワーも金も意志も無いからいいんだけどさ・・・東北の旧家・名家とかすんげえ葬式しそうだよなぁ・・・と思いつつ、進む。





で、 鶯沢総合支所、学校、福祉施設などの公共施設が集中する鶯沢地区の中心とおぼしいエリアに到着したら、いきなりこれですよ。

二迫川に架かるガーター橋がそのまままるごと残っている訳で。


というか、出発前の事前チェックで栗電跡をざっくり調べたら、マインパーク前駅跡から石越駅跡までの鉄路がほぼそのままごっそり残っているんですな。
築堤や線形が鉄道の名残を~とかそういうレベルじゃなくて、ほぼそのままごっそりと。
流石に踏切は潰して再舗装してあったり、地元の交通の邪魔になっていたかもしれない陸橋などは撤去されていたりするけど。






ほらこんな感じで。鉄管バリケードを視界に納めなければ元名鉄キハ10形がガタガタ走ってきても違和感無いレベル。

こういう状態で、ほぼ全区間残されている感じ。
で、なんでそんなに残されているかと思ったけど、まったくの憶測であるが平成19年(2007年)まで運行していたというのがミソかと。

昭和30~40年代に消えていった多くの地方鉄道はそのまま道路拡幅や新たな車道建設の礎となっていったけど、くりはら田園鉄道が運行終了した平成19年では周辺の道路はおおよそ開発されていて、この地域の人口・産業規模や交通量を考えると鉄道跡を新たな道路として再開発する理由も財源も気運も乏しいのでは、と。

後、Twitterで頂いたリプライでの推測では、そもそも細倉鉱山で産出された鉱物を国鉄石越駅まで輸送していた路線であり、それにより路盤が土壌汚染されていて半端な開発は周辺農地なども土壌汚染してしまう懸念があるのではないかとかどうとか。

それが果たしていいのか悪いか、合っているのかまったく的外れの推論なのかは分からないしそれを詮議するつもりもないが、こうして本来縁も所縁も無かった鉄道のかつての雄姿を偲べるレベルの廃線跡に遭遇している。





細倉マインパークの麓まで到着。
道路向いの小山がそれでなく、交差点を右手に進んでいく必要があるけど、くりでんミュージアム行くこと考えると、果たして細倉マインパークまで行く時間的余裕があるかどうか・・・

とはいえ、その前に






細倉マインパーク前駅跡至近にある「だるま屋」で食事。
唐揚げうめえ・・・

この付近で、食事できたり、少なくとも飯を調達できそうな店がここぐらいしか無いので飢えて偏頭痛に悶える前に食事。




※細倉鉱山駅跡

「だるま屋」から少しだけ山側というか細倉金属鉱業側へ進んでみる。
本来というか、栗原電鉄時代の貨物輸送を行っていた頃の終着駅であった細倉鉱山駅跡。
細倉鉱山からの貨物輸送の低迷・廃止に伴い、くりはら田園鉄道に移行する前の80年代末期には廃止されていたらしい。

現在も盛業中の細倉金属鉱業敷地内の元鉄道用地がどうなっているかは不明だが、この細倉鉱山駅跡に限って言えば、栗電跡で数少ない「鉄道の名残を感じない」場所(冷静に考えると、逆である)となっている。

すべての駅跡をチェックした訳ではないが、今回訪問した栗原電鉄/くりはら田園鉄道の駅跡にはすべてこのような立派な石碑が建立されており、人々のかの鉄道への愛着を思わせる・・・まあ、それが鉄道を生かし続ける為の利益にまで昇華されなかったと言ってしまうのは残酷だし弁えていないと言われそうな話なんですかね。





※細倉マインパーク前駅跡

「寂れてますけど、2時間後に石越行の列車が来ますよ」と言われたら頷きかねない風情ではある。

どういった理由かは不明だが、駅舎が現存しているのはこの細倉マインパーク前駅と若柳駅だけの模様。

細倉マインパーク開業により、観光客輸送による利用増を狙って目と鼻の先にあった細倉駅が移転する形で開業した駅だという。





駅は保存というより、平成19年に廃止されたその日から手つかずといった風情。
ひょっとしたら、無人駅にありがちな「地域の公民館」的利用をされている・されていたのかもしれないと思ったが、駅の隣ぐらいの場所に立派な公民館があるのでそれも無いかな・・・。


※ウィキペディアによると、廃止後の一時期は事務所として使用されていたらしい。

ただ、このような場所のおかげか、無法者による犯罪行為の餌食になっているフシが無いのは救われた気がしないでもない。





右手奥の建物(当地の公民館)のさらに奥が、細倉駅跡地。



※細倉マインパーク前駅跡に静態保存されている電気機関車ED202とデッキ付木造貨車(車番は読み取れなかったが、ワフ71らしい)

あちこちヤレがあるが、屋根が無く荒れる一方だった時期もあった模様。

くりでんミュージアムで動態保存されている気動車KD95形の修繕費用をクラウドファンディングで調達していたらしいが、リソースのある無しはともかく無視されていないことは願いたい。
・・・二度目の来訪があるかどうかすら怪しい余所者の放言と言われたら、ぐうの音も出ないけど。




ちなこの辺り、蜘蛛の巣だらけでしかもすんげえデカい蜘蛛が居たので、おじさんびっくりして泣いちゃった。
足がすげえ多いやつと足が無いやつはどうしてもダメなんだ・・・

・・・まあ、「二本足」相手にも博愛主義かって言われたらそんなことはないがな!ガハハ!




くりでんミュージアムまでどんな見どころに出くわすかわからない・・・ということで、渋々細倉マインパーク見学はやめ。




※鶯沢総合支所裏手の鶯沢駅跡





※鶯沢駅跡近くのガーター橋

※画面左手が鶯沢総合支所、中央付近が鶯沢駅跡


※おじさん、人類史上最悪レベルで映えない地鶏を決行するの図

いえですねぇ・・・おじさん、あちこち行ってるけど「自分がそこに行ったことを記録として残せる画像」無いんじゃないかなぁ・・・と思った訳で。

まあ、面倒くさくなったのでこのツーリングで地鶏した画像なんてこれぐらいなんすけどね!
自撮り棒とか持ってパシャパシャやってる兄ちゃん姉ちゃんて、ホントバイタリティーあるよねぇ・・・







※車両を留置する際の警告?

※沢辺駅跡

あんまりにも線路が残っているので、ひょっとしたら一日に一本ぐらい通りそうな錯覚すら覚える。




※くりはら田園鉄道公園

細倉マインパーク前駅跡から2時間ほどかけて、旧若柳駅やくりでんミュージアムを含む「くりはら田園鉄道公園」に到着。

・・・というかですね、日曜日でありここのKD95乗車イベント実施日(しかも、くりでんミュージアム自体が「初恋*れ~るとりっぷ」というコミックとコラボしていた)だったので、メッチャ人居る(わし比)んじゃが???

ここまで人気ゼロの駅跡とか徘徊してきたから、何か人酔いしそうなんじゃが????






※美しく塗装されたED203
※美しく塗装された貨車(ED203側から、ト102・ト103・ワフ74)

※電化時代のM15形(左)と元名鉄のキハ10形(右)

コラボイベントのポスターが掲示された若柳駅駅舎。
駅舎と構内への入場は無料。

構内には、栗原電鉄時代の電車M15形(車内見学可能。栗電時代のヘッドマークや車内ポスターなどが掲出されている)、第三セクター化後の主力となったKD95形と元名古屋鉄道キハ10形(KD10形)、移動機、貨物輸送時代に活躍したであろED202機関車とディーゼル機関車、有蓋・無蓋貨車が保存されている。

訪問時は、KD95形の乗車体験イベント(有料)が実施されていた。



・・・ホント、今にして思えばたかが300円払って乗っておけばよかったんじゃなかろうか、と。そんなんばっかだな、この旅行(予言)



※かつての行先表示を掲げるKD95形
※くりでんミュージアム正面


※元名鉄キハ10形と、コラボ作品「初恋*れ~るとりっぷ」のキャラクターボード

若柳駅と道路を挟んだ向かい側には、かつての車庫・車両工場をリノベーションした「くりでんミュージアム」が所在し、内部にはKD10形とKD95形が保存されている。

ちなみに、ミュージアム側と若柳駅側の線路は完全に寸断されており、若柳駅側のKD95などは構内に新設されている車庫で整備点検を受けている模様。

なお、こちらの入館は有料。








個人的に趣深かった所蔵品は、こちらの木造貨車の廃車体。
解説看板によると、元西武の貨車で2022年で100歳。
車籍は既に無く工場で倉庫となっていたものだが、中途半端な再塗装やレストアをせずに「倉庫だった廃車体」として保存展示しているところが実によろしい。
右側の車体は油脂類の保存庫だったようで、車体に留められた看板には「油」「置場」の文字がうっすら残り、扉横には消火器が設置されていたであろう赤い収納箱が残る。






※前述の廃車体展示の辺りから観察できる、かつての本線




ということで、細倉の保存車から鉄道跡をめぐり、「くりでんミュージアム」と若柳駅、その保存車群の見学完了!

いやー、東北上陸二日目から大満足。

・・・あ、石越駅跡がまだだった。






※JR東日本 東北本線 石越(いしこし)駅

まずはJR側の石越駅。
で、栗電/くりはら田園鉄道の石越駅跡は、駐車場となっている細長い敷地がそうであるらしい。

駐車場前に電話ボックスが所在するが、どうやら栗電の石越駅が存在した時からそこに所在していたものらしい(駅舎消滅に伴い、若干の移動はしているのだろうが)。


鉄道ファンなどが撮影した現役時代の石越駅のスナップを見ると、左手の白い建物はくりはら田園鉄道現役時代から存在するようなので、この駐車場とその通路がかつての石越駅構内である模様。




石越駅では国鉄線と貨車の収受を行っていたというのだから、栗電本線(東北本線の架線柱と左手の雑木の間に残るレールがそれ)と東北本線の間に存在するダダ広い空間はその側線が存在したのだろう。
「くりでんミュージアム」で展示されている写真や再現ジオラマなどでもそれが伺える。



※石越駅跡地の石碑
※かつての石越駅正面から駅前ロータリーを眺める。

かつての石越駅前の写真を「くりでんミュージアム」の展示やネット上で見るにつけ、かつては国鉄とJR、栗電/くりはら田園鉄道を旅客・貨物で利用し関わる人々などでにぎわっていたことが伺えるが、今では客待ちタクシーの一台も居ない。

とはいえ、「みどりの窓口」が設置されているぐらいなので、それなりに需要はあるのだろう。朝の通勤通学時間帯には当駅始発の仙台行も設定されているぐらいだし。


・・・何にせよ、細倉から石越まで来てよかったと思えるよい散策であった。


※登米市街のビジネスホテル サンフレックス


今日の目的を果たして、登米市街のビジネスホテル・サンフレックスに到着。

この辺りの宿チョイスは「空室の有無」と「料金」の兼ね合い程度の話なので・・・
後は周囲に買い物や食事できそうな環境があるとかそういう。

もし、登米市街で確保できていなかったら石越から栗原市役所が所在する栗原市街まで戻るか、一関まで移動する必要に迫られていただろう。
一番最悪なのは、栗原や一関でも確保できなかった場合だけどな!

なんせ、今回の旅行は「その日の宿は、その日の進捗に応じて、その日に確保する」っつう超後手後手ですからしてwww ← 笑いごとじゃねぇよ


まあ、何にせよ・・・



清潔なシーツ!

ベッド!

屋根のついた寝床!

電源!

ウォシュレット便座!

風呂!

文明最高!アイラブ文明!そこになんの違いもありゃしねぇだろうが! !(ブロッケンマンJr)

という、ありきたりだが文明の恩恵120%ビジホ一般セットに感涙を禁じ得ない訳です。

館内にコインランドリー無いけど、目と鼻の先のテナントビルに24時間コインランドリーがあるというので明日早起きして洗濯しに行こう。



※味噌らーめん工房麺助
ラーメンうめえ・・・

さて晩飯と買い物をどうしようかと考えて、ホテルから一番近いこのラーメン屋に。

ホテルから1キロほど歩けば、イオンタウンがありその周囲やイオンのテナントに何件も飯屋があるのだが・・・

なんせ今日はよりにもよって日曜日。

只今はよりにもよって日曜の夕方。

パパとママが坊ちゃん嬢ちゃん爺ちゃん婆ちゃんを連れて練り歩く、日曜の夕方の地方都市のイオン・・・

すなわち 超 ア ウ ェ ー ゾ ー ン である。

何も、東北まで日曜日のイオンに揉まれに来たのではない。

オレはようやく走りはじめたばかりだからな このはてしなく遠いみちのくをよ…

みちのくひとり旅かよ・・・ジョージ・ヤマモト最高か・・・

ということで、件のラーメン屋で飯を済ませ、最寄りのファミリーマートで飲み物や菓子、明日の朝食を用意した次第。

■続く




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