このBlogについて

イスラエルや戦後系の戦車作ったり、おっぱいがけしからんフィギュア
作ったり、年中、体のどこが具合悪いと文句垂れるおっさん「サビ屋」のBlogなんやな・・・。

※自転車乗り始めてからババチビりそうな勢いで模型作ってないってそれ前から言われてるから(戒め)

FELTとANCHORと9S下駄の熱い三台体制(活用できているとは言っていない)

2023-03-27

無職が行く東北とちょっとだけ北海道無計画ツーリング 9月12日 北上盆地を北上に向けて北上

 9月12日 登米市 ビジネスホテル サンフレックス


おはようございます・・・(テンション↓↓↓)

早起きして洗濯するという熱い誓いを全力でブッチして、7時半頃にホテル至近のコインランドリーで洗濯。

めちゃ新しい店らしく、機器も店内もピカピカ。

ちなみに今回のツーリングにおける衣服類は

ジャージ2着(うち1着は着用)
下着としてのパンツ2着(うち1着は着用)
レーパン1着(着用)
TPO的な意味で、レーパンの上に履くハーフパンツ1着(着用)
靴下2セット(うち1セットは着用)
指抜きグローブ1双と指付きグローブ1双(どちらかを着用)
インナーシャツとタイツ1着(着用)
宿やフェリー船内などで着用するモノタロウTシャツ1枚
ウインドブレーカー1着
ワークマンのレインポンチョ1着
SPDシューズ1セット(着用)
ワークマンのマリンシューズ1セット(宿やフェリー船内などで使用)
ヘッドランプ付ヘルメット1つ

という構成。

インナーシャツとタイツについては、いわゆる速乾系素材なのでコインランドリーが使えなくてもユニットバスで手洗いして全力で手絞りしてバスルームに吊り下げておけば乾く(実際そうした)だろうし、もし破損してもホームセンターやワークマンなどの作業服を扱う店で比較的容易に購入できるからスペアを持参する必要は無かろうという判断。

ジャージと靴下と下着は、仮に二日に一度しか洗濯できなくても毎日さっぱりしたパンツと靴下をしたいし、できれば日毎にジャージを替えて気分を高めたい・・・二日に一度であれば宿に洗濯設備が無くてもそこいらの国道沿いにコインランドリーがあるだろうからそれを使えばいいという判断。

Tシャツについては、仮眠程度ならまだしも宿やフェリー船内でくつろいだりそこいらに買い物に行ったりする際に、コンプレッションシャツやサイクルジャージでは窮屈でリラックスできないので持参するようにした。
2~3時間程度の乗船ならまだしも、一昼夜の乗船でコンプレッションウェアやサイクルジャージに締め付けられるのは厳しい。
あと、ジャージを洗濯している際に着る物が無い=行動の自由が制限される(スペアのジャージはできるだけそのままにしておきたい)し、これがあればその間ジャージを洗濯してしまえるという時間の節約にもなる。
まあ、ホテル滞在時はホテル備品の寝間着やら作務衣やら着ればいいけど、外出る時はそうもいかんでしょ?と。

レーパンの上に履くハーフパンツは、Tシャツ同様に宿やフェリー船内などレーパンを着用する必要が無いシーンやTシャツ同様にレーパン洗濯中に履くものが必要である。
あと、自動販売機でコーラを買う小銭を入れるポケットすらないレーパンしか履いてないというのは実に不便である。
ただ、ワークマンで購入したこのハーフパンツ、素材がタフ過ぎるのかFELTに装着しているNukeproofのサドルを随分痛めてしまった。今後の使用にはよくよく考えないといけない。

ということで、過去の経験や反省、今回想定しうる状況(主に日没後の低温と降雨。流石に降雪は無いと信じた)に拠って用意してみた。



素晴らしくヘルシーな朝食と今回のコースというか走行ログ(出オチ)

交通量・路面コンディションともに何一つ甘い期待をできない国道4号を回避しつつ、東北本線の東側・北上川に沿うようなコースで北上盆地を北上・花巻方面に北上。

もし、南三陸~宮古の太平洋沿岸コース計画であれば、登米から南三陸方面となっただろうが今回はこのまま登米から北上・花巻方面へ北上。




東北上陸三日目にして、宮城を出て岩手進入。

そういや、岩手の平泉が世界遺産登録されてたねえと思ったけど、別段興味が沸かないし、コース的にカスリもしないし、カスらせることもなく通過することにした。

数百年前のお寺さんと50年前の電気機関車なら、後者の方が興味をそそるわけでして。
興味がありもしないものに理解を示すようなツラが出来るほど、人間ができているわけではない自覚はある。




神文ストア 花泉店で昼飯。

気づけば、この旅行では神文ストア、マエダ、ジョイス、ユニバースなど地場系スーパーの軒先やイートインコーナーでメシを喰いまくることになる。


※大船渡線 真滝駅



※北上川と千歳橋

特に意図した訳ではないが、北上川の東岸を北上・花巻方面へ北上。
問題は今日中に花巻に到着したところで、予約サイトを検索した限りでは花巻温泉も含めて宿が無さそうという問題。

真夜中・・・少なくとも完全に日没となった時間帯に花巻のデハ3見学するのも面白くないし、金は無いが時間はあるgdgd旅行なので、今日は北上で停止する方向で考えてみる。




たまらぬ北上盆地であった。



14時半頃、平泉町に進入。つまり、まだ平泉である。
この時点で、北上駅までおよそ40km強。
無計画物見遊山のチンタラ走行で4~5時間と想定してみる。
まあ、飯やらトイレ休憩やら入れたら、絶対にそれ以上膨れ上がるのは目に見えている。

近所のライドならまだしも、初めての場所で次はいつ来れるかもわからん場所なので、

”寄り道道草上等でもいきなり無舗装グラベルは勘弁な”

精神で。









奥州市内の江刺でおおよそ17時前。

腹が減ったし、これ以上下手に粘るとちょうどいい飯屋やスーパーを逃しそうだし、何より晩飯時で混んでる場所でメシ食いたくないというちょうワガママにより、「南部家敷」という地場系のファミレスに入ってみることにした。

メニューを見ると、蕎麦がメイン(うどんへのチェンジは無い模様)。




天丼・ミニ蕎麦セットに、サイドメニューの唐揚げ追加という追い揚げ物セット。

何考えてんだこの馬鹿、「自転車乗って腹減ってる」ことと「胃腸がその食事に耐えられる」ことは別問題だろうが。

案の定、ウップ・・・となりつつ完食したけど、せっかくのメシが味わうどころじゃなくなるからそういうチョイスはやめろと言わざるを得ない。

なお、今年の1月にぼっちからパやってゲッフウてなっているので学習しない模様。





10割自業自得のウェップ・・・感に苦しみつつ、20時前に北上市進入。

で、重要なお知らせ。

現時点で、北上市内での宿泊施設の選択肢がほぼありません。

予約サイトを冷やかした限りで出てきた候補が、東北自動車道IC近くの「大衆演劇と湯どころ まーす北上」という大衆演劇も見れる系のスーパー銭湯の仮眠室宿泊コース。

昼前に見た時にはまだ残っていた北上駅周辺ビジホのシングルとかは無事全滅した模様。

後は、前述のスーパー銭湯近くにある快活CLUB・北上店
ソフトドリンクやインスタントスープを恵んでくださる我々のような貧乏旅行者のサンクチュアリであるが、どいつもこいつもわしもシケシケくんの考えは似ている訳で、今回の旅行中に利用した系列店舗はどこも結構な混みっぷりであった。

で、もう一つが、東北本線・村崎野駅近くの国道4号沿いにある「スーパーダブルエックス 北上店」・・・俗に言うDVD視聴とか個室ビデオとかそういうお店。

個室ビデオを安宿代わりにすることについては、過去のWF上京旅行時に八王子や川崎でやっているし別に何の抵抗もないが、混んでいるかどうかという問題がある。

で、冷静に考えてみる。

今日はド平日の月曜日。八王子や川崎で利用した時の混雑ぶり(別に混んでいたというわけでもないが)を引き合いに出して考えた結果。

まあ、料金として見た場合はどれもこれも大して代わりの無い3000円でオツリが来るレベル。

広い風呂に入れるスパ銭の仮眠室か、ネカフェのクソ狭個室か、個室ビデオの個室か。

で、単純にコスパだけで言えば、快活CLUB一択ではある。
ジュース飲み放題だし、インスタントスープやソフトクリームで空腹を誤魔化せるし、最近はコインランドリーや無料シャワーもあるし。

ただ、だからこそ、わしみてえな安宿渇望マンで混むんだよなぁ・・・という。

うーん・・・


で、皆さんお気づきでしょうけど、この時点でスーパー銭湯の宿泊コースを予約して最終チェックインの23時までに間に合えば、確実に風呂と寝床を確保できるんすよね。

何でそうしなかったんだ、この野郎は。なめてんのか(世界ブーメラン選手権開催)




北上市展勝地公園の保存車

とりあえず、北上川沿いに北上していたら、何かがすごくライトアップされた公園が。

トイレもしたかったので用足しさせてもらおうと入ったら、C58・ラッセル車・ワフ車の静態保存車がライトアップされていた。

正直なところ、C58だけならウチの近所にもあるのでそこまで興味をそそらない訳だが、ここの個体はワフ車とラッセル車もセットとなっている。
ただでさえ図体のデカい蒸気機関車に、貨車やラッセル車までセットで保存展示しているというケースは北海道ならまだしも、スペース的に苦しい本州ではなかなか珍しいのではなかろうか。
ラッセル車は比較的最近になって保存されたのか、色ツヤというかコンディションがC58やワフのそれよりいい感じである。






で、今日の寝床をどうするか。

この公園の所在地からして、スーパー銭湯もしくは快活CLUBにするなら、この辺りから北上川を渡り北上駅方面へ向かうのがベストである。

・・・




はい、個室ビデオの12時間コースです。

洗濯はできないけど、シャワー使えるしね!
洗濯は翌日の宿で何とかすればヘーキヘーキ!(熱いフラグ)



※スーパーダブルエックス 北上店のフラットルーム

で、おじさんビックリですよ、この個室ビデオの個室メチャ広いわ。

この旅行で利用した快活CLUBの個室ブースとか、映画とかで出てくるムショや収容所の懲罰房かよってレベルで広い。

あと、店が新しいのか、掃除や消臭が徹底しているのか、全面禁煙なのか、川崎の個室ビデオで喉や鼻がヒリつくレベルの残留ヤニ臭が無いのがよい。

無料のドリンクとかは無いけど、それ目当てなら快活CLUB行けばいいじゃんて話になる訳ですしね。店内にジュースの自動販売機やスナック菓子、カップ麺の販売もあるし。

利用コース決めてから料金先払いで、飲食物の持ち込み自由+出入り自由。
ただ、コンビニとか1km以上離れてるし、夕方食った飯が未だにもたれてるしとかそういう自業自得ぶりで飯とか明日でええわと。




スケベビデオの視聴を実施しました!(熱い報告)

ボカァねぇ~この女優さんは好みなんだけどねぇ~作品がダメだよキミィ~
↑個室ビデオでスケベビデオにダメ出しする当時42歳という地獄絵図

・・・とりあえず借りたスケベビデオがおおよそ全滅でムスコさんもションボリという現実に打ちひしがれつつ、シャワーも浴びずに昏睡するなど。

■続く




2023-03-24

無職が行く東北とちょっとだけ北海道無計画ツーリング 9月11日 くりはら田園鉄道線跡とくりでんミュージアム

 9月11日 「道の駅おおさと」 軒先



ずんだ~~~~!(郷土愛に満ちたアイサツ)

タフなサイクリストのタフな東北野宿のタフな朝は、タフなアイサツで始まるという・・・


というわけで、朝5時起床!もう寝てらんねぇ!寒いしあちこち痛いんですけど!

そんな東北上陸二日目、野宿起床からのスタート。

ふと思ったんだけど、90L120Lのペール袋1枚あればエマージェンシーシートと併せて最強の寝具になったのでわ???と思うけど、今更杉ワロタ




とりあえず、隣のファミリーマートで温めたおにぎりとホットスナック、ホットほうじ茶、プロテイン飲料という最高にゴキゲンな朝食を摂取。
温かい朝飯最高かよ・・・

寒いってのもあるけど、早朝から冷たい菓子パンとかをモリモリ食うような若さが失われたという現実、自分涙いいっすか?

いやー、2020年のツーリングと違ってコンビニのイートインスペース利用制限が緩くなってきたので助かりますワ・・・あん時はコンビニのイートインはまったく使えない、飯屋は開いてないしすぐ閉まるとかそんなんばっかだったし。


そもそも、一般へのワクチン接種すら始まっておらん時に北海道行くとか言い出したわしの豪胆なことよ!ガハハ!(ガハハじゃねぇよ)



国道4号沿いの悲しきオートスナックくん・・・これ、営業しとらんのよね?

で、今日は栗原市エリアの栗原電鉄/くりはら田園鉄道(第三セクター化後に電化を廃止)跡散策と、旧若柳駅を含むくりでんミュージアムが目的。

メーンはくりでんミュージアムであるとはいえ、くりはら田園鉄道時代の終点であった細倉マインパーク前駅跡にも、実に感じのいい凸型電気機関車とデッキつき木造貨車が保存されているようなので、大郷からまずは細倉マインパーク前駅跡が所在する鶯沢地区まで移動。
そこから栗電跡を伝うように旧若柳駅/くりでんミュージアムまで移動し、見学。
ラストは国鉄/JR東北本線・石越駅と連絡していた石越駅跡(「栗電石越駅」など国鉄・JRとの駅名差別化は無かったんだろうか)という流れ。

11日の最終的なゴールは登米市街のビジネスホテル サンフレックスとした。

翌日の移動に対して後退するようなものだが、山向こうの一関市街で宿を取れなかったのか、それとも石越駅から20km以上の移動(登米に対しては10km強)が嫌だったのか、もう覚えてないけど、たぶん後者かな。





途中通りかかった地区で、八甲田山遭難事件における青森歩兵第5連隊の生存者・後藤伍長を讃える看板があり、なんで?と思ったらこの辺りが後藤伍長の出身地であるという知見を得たり。

看板によると、この看板から数キロのところにある泉昌寺が後藤伍長の墓所である由。

あ、だからというわけじゃないけど、今回は青森の八甲田丸とか行くついでに青森の八甲田山雪中行軍遭難資料館も見学しようぜということにしました。

秋田の小坂をあきらめたり、留萌や根室をあきらめる(当たり前である)ぐらいなら、行きやすい場所で色々行こうぜ?という。最初からそう計画せえよ・・・




細倉マインパーク(旧細倉鉱山を観光坑道化した施設)の看板が出たので、もう少し・・・

御不幸があったこの御宅に何か関わりがあるわけじゃないけど、東北というか少なくとも宮城ではこういう葬儀の看板で通夜や本葬、火葬の場所・日時をこと細かくミッチリ書いたり知らせたりする習慣があるのかな。
こっちじゃせいぜい、〇〇家会場とかそういう程度よね?

・・・ホラ、わしが家人葬儀の喪主やった時なんか会葬者が2家4人よ?
それはそれでラクでいいし豪勢にやるマンパワーも金も意志も無いからいいんだけどさ・・・東北の旧家・名家とかすんげえ葬式しそうだよなぁ・・・と思いつつ、進む。





で、 鶯沢総合支所、学校、福祉施設などの公共施設が集中する鶯沢地区の中心とおぼしいエリアに到着したら、いきなりこれですよ。

二迫川に架かるガーター橋がそのまままるごと残っている訳で。


というか、出発前の事前チェックで栗電跡をざっくり調べたら、マインパーク前駅跡から石越駅跡までの鉄路がほぼそのままごっそり残っているんですな。
築堤や線形が鉄道の名残を~とかそういうレベルじゃなくて、ほぼそのままごっそりと。
流石に踏切は潰して再舗装してあったり、地元の交通の邪魔になっていたかもしれない陸橋などは撤去されていたりするけど。






ほらこんな感じで。鉄管バリケードを視界に納めなければ元名鉄キハ10形がガタガタ走ってきても違和感無いレベル。

こういう状態で、ほぼ全区間残されている感じ。
で、なんでそんなに残されているかと思ったけど、まったくの憶測であるが平成19年(2007年)まで運行していたというのがミソかと。

昭和30~40年代に消えていった多くの地方鉄道はそのまま道路拡幅や新たな車道建設の礎となっていったけど、くりはら田園鉄道が運行終了した平成19年では周辺の道路はおおよそ開発されていて、この地域の人口・産業規模や交通量を考えると鉄道跡を新たな道路として再開発する理由も財源も気運も乏しいのでは、と。

後、Twitterで頂いたリプライでの推測では、そもそも細倉鉱山で産出された鉱物を国鉄石越駅まで輸送していた路線であり、それにより路盤が土壌汚染されていて半端な開発は周辺農地なども土壌汚染してしまう懸念があるのではないかとかどうとか。

それが果たしていいのか悪いか、合っているのかまったく的外れの推論なのかは分からないしそれを詮議するつもりもないが、こうして本来縁も所縁も無かった鉄道のかつての雄姿を偲べるレベルの廃線跡に遭遇している。





細倉マインパークの麓まで到着。
道路向いの小山がそれでなく、交差点を右手に進んでいく必要があるけど、くりでんミュージアム行くこと考えると、果たして細倉マインパークまで行く時間的余裕があるかどうか・・・

とはいえ、その前に






細倉マインパーク前駅跡至近にある「だるま屋」で食事。
唐揚げうめえ・・・

この付近で、食事できたり、少なくとも飯を調達できそうな店がここぐらいしか無いので飢えて偏頭痛に悶える前に食事。




※細倉鉱山駅跡

「だるま屋」から少しだけ山側というか細倉金属鉱業側へ進んでみる。
本来というか、栗原電鉄時代の貨物輸送を行っていた頃の終着駅であった細倉鉱山駅跡。
細倉鉱山からの貨物輸送の低迷・廃止に伴い、くりはら田園鉄道に移行する前の80年代末期には廃止されていたらしい。

現在も盛業中の細倉金属鉱業敷地内の元鉄道用地がどうなっているかは不明だが、この細倉鉱山駅跡に限って言えば、栗電跡で数少ない「鉄道の名残を感じない」場所(冷静に考えると、逆である)となっている。

すべての駅跡をチェックした訳ではないが、今回訪問した栗原電鉄/くりはら田園鉄道の駅跡にはすべてこのような立派な石碑が建立されており、人々のかの鉄道への愛着を思わせる・・・まあ、それが鉄道を生かし続ける為の利益にまで昇華されなかったと言ってしまうのは残酷だし弁えていないと言われそうな話なんですかね。





※細倉マインパーク前駅跡

「寂れてますけど、2時間後に石越行の列車が来ますよ」と言われたら頷きかねない風情ではある。

どういった理由かは不明だが、駅舎が現存しているのはこの細倉マインパーク前駅と若柳駅だけの模様。

細倉マインパーク開業により、観光客輸送による利用増を狙って目と鼻の先にあった細倉駅が移転する形で開業した駅だという。





駅は保存というより、平成19年に廃止されたその日から手つかずといった風情。
ひょっとしたら、無人駅にありがちな「地域の公民館」的利用をされている・されていたのかもしれないと思ったが、駅の隣ぐらいの場所に立派な公民館があるのでそれも無いかな・・・。


※ウィキペディアによると、廃止後の一時期は事務所として使用されていたらしい。

ただ、このような場所のおかげか、無法者による犯罪行為の餌食になっているフシが無いのは救われた気がしないでもない。





右手奥の建物(当地の公民館)のさらに奥が、細倉駅跡地。



※細倉マインパーク前駅跡に静態保存されている電気機関車ED202とデッキ付木造貨車(車番は読み取れなかったが、ワフ71らしい)

あちこちヤレがあるが、屋根が無く荒れる一方だった時期もあった模様。

くりでんミュージアムで動態保存されている気動車KD95形の修繕費用をクラウドファンディングで調達していたらしいが、リソースのある無しはともかく無視されていないことは願いたい。
・・・二度目の来訪があるかどうかすら怪しい余所者の放言と言われたら、ぐうの音も出ないけど。




ちなこの辺り、蜘蛛の巣だらけでしかもすんげえデカい蜘蛛が居たので、おじさんびっくりして泣いちゃった。
足がすげえ多いやつと足が無いやつはどうしてもダメなんだ・・・

・・・まあ、「二本足」相手にも博愛主義かって言われたらそんなことはないがな!ガハハ!




くりでんミュージアムまでどんな見どころに出くわすかわからない・・・ということで、渋々細倉マインパーク見学はやめ。




※鶯沢総合支所裏手の鶯沢駅跡





※鶯沢駅跡近くのガーター橋

※画面左手が鶯沢総合支所、中央付近が鶯沢駅跡


※おじさん、人類史上最悪レベルで映えない地鶏を決行するの図

いえですねぇ・・・おじさん、あちこち行ってるけど「自分がそこに行ったことを記録として残せる画像」無いんじゃないかなぁ・・・と思った訳で。

まあ、面倒くさくなったのでこのツーリングで地鶏した画像なんてこれぐらいなんすけどね!
自撮り棒とか持ってパシャパシャやってる兄ちゃん姉ちゃんて、ホントバイタリティーあるよねぇ・・・







※車両を留置する際の警告?

※沢辺駅跡

あんまりにも線路が残っているので、ひょっとしたら一日に一本ぐらい通りそうな錯覚すら覚える。




※くりはら田園鉄道公園

細倉マインパーク前駅跡から2時間ほどかけて、旧若柳駅やくりでんミュージアムを含む「くりはら田園鉄道公園」に到着。

・・・というかですね、日曜日でありここのKD95乗車イベント実施日(しかも、くりでんミュージアム自体が「初恋*れ~るとりっぷ」というコミックとコラボしていた)だったので、メッチャ人居る(わし比)んじゃが???

ここまで人気ゼロの駅跡とか徘徊してきたから、何か人酔いしそうなんじゃが????






※美しく塗装されたED203
※美しく塗装された貨車(ED203側から、ト102・ト103・ワフ74)

※電化時代のM15形(左)と元名鉄のキハ10形(右)

コラボイベントのポスターが掲示された若柳駅駅舎。
駅舎と構内への入場は無料。

構内には、栗原電鉄時代の電車M15形(車内見学可能。栗電時代のヘッドマークや車内ポスターなどが掲出されている)、第三セクター化後の主力となったKD95形と元名古屋鉄道キハ10形(KD10形)、移動機、貨物輸送時代に活躍したであろED202機関車とディーゼル機関車、有蓋・無蓋貨車が保存されている。

訪問時は、KD95形の乗車体験イベント(有料)が実施されていた。



・・・ホント、今にして思えばたかが300円払って乗っておけばよかったんじゃなかろうか、と。そんなんばっかだな、この旅行(予言)



※かつての行先表示を掲げるKD95形
※くりでんミュージアム正面


※元名鉄キハ10形と、コラボ作品「初恋*れ~るとりっぷ」のキャラクターボード

若柳駅と道路を挟んだ向かい側には、かつての車庫・車両工場をリノベーションした「くりでんミュージアム」が所在し、内部にはKD10形とKD95形が保存されている。

ちなみに、ミュージアム側と若柳駅側の線路は完全に寸断されており、若柳駅側のKD95などは構内に新設されている車庫で整備点検を受けている模様。

なお、こちらの入館は有料。








個人的に趣深かった所蔵品は、こちらの木造貨車の廃車体。
解説看板によると、元西武の貨車で2022年で100歳。
車籍は既に無く工場で倉庫となっていたものだが、中途半端な再塗装やレストアをせずに「倉庫だった廃車体」として保存展示しているところが実によろしい。
右側の車体は油脂類の保存庫だったようで、車体に留められた看板には「油」「置場」の文字がうっすら残り、扉横には消火器が設置されていたであろう赤い収納箱が残る。






※前述の廃車体展示の辺りから観察できる、かつての本線




ということで、細倉の保存車から鉄道跡をめぐり、「くりでんミュージアム」と若柳駅、その保存車群の見学完了!

いやー、東北上陸二日目から大満足。

・・・あ、石越駅跡がまだだった。






※JR東日本 東北本線 石越(いしこし)駅

まずはJR側の石越駅。
で、栗電/くりはら田園鉄道の石越駅跡は、駐車場となっている細長い敷地がそうであるらしい。

駐車場前に電話ボックスが所在するが、どうやら栗電の石越駅が存在した時からそこに所在していたものらしい(駅舎消滅に伴い、若干の移動はしているのだろうが)。


鉄道ファンなどが撮影した現役時代の石越駅のスナップを見ると、左手の白い建物はくりはら田園鉄道現役時代から存在するようなので、この駐車場とその通路がかつての石越駅構内である模様。




石越駅では国鉄線と貨車の収受を行っていたというのだから、栗電本線(東北本線の架線柱と左手の雑木の間に残るレールがそれ)と東北本線の間に存在するダダ広い空間はその側線が存在したのだろう。
「くりでんミュージアム」で展示されている写真や再現ジオラマなどでもそれが伺える。



※石越駅跡地の石碑
※かつての石越駅正面から駅前ロータリーを眺める。

かつての石越駅前の写真を「くりでんミュージアム」の展示やネット上で見るにつけ、かつては国鉄とJR、栗電/くりはら田園鉄道を旅客・貨物で利用し関わる人々などでにぎわっていたことが伺えるが、今では客待ちタクシーの一台も居ない。

とはいえ、「みどりの窓口」が設置されているぐらいなので、それなりに需要はあるのだろう。朝の通勤通学時間帯には当駅始発の仙台行も設定されているぐらいだし。


・・・何にせよ、細倉から石越まで来てよかったと思えるよい散策であった。


※登米市街のビジネスホテル サンフレックス


今日の目的を果たして、登米市街のビジネスホテル・サンフレックスに到着。

この辺りの宿チョイスは「空室の有無」と「料金」の兼ね合い程度の話なので・・・
後は周囲に買い物や食事できそうな環境があるとかそういう。

もし、登米市街で確保できていなかったら石越から栗原市役所が所在する栗原市街まで戻るか、一関まで移動する必要に迫られていただろう。
一番最悪なのは、栗原や一関でも確保できなかった場合だけどな!

なんせ、今回の旅行は「その日の宿は、その日の進捗に応じて、その日に確保する」っつう超後手後手ですからしてwww ← 笑いごとじゃねぇよ


まあ、何にせよ・・・



清潔なシーツ!

ベッド!

屋根のついた寝床!

電源!

ウォシュレット便座!

風呂!

文明最高!アイラブ文明!そこになんの違いもありゃしねぇだろうが! !(ブロッケンマンJr)

という、ありきたりだが文明の恩恵120%ビジホ一般セットに感涙を禁じ得ない訳です。

館内にコインランドリー無いけど、目と鼻の先のテナントビルに24時間コインランドリーがあるというので明日早起きして洗濯しに行こう。



※味噌らーめん工房麺助
ラーメンうめえ・・・

さて晩飯と買い物をどうしようかと考えて、ホテルから一番近いこのラーメン屋に。

ホテルから1キロほど歩けば、イオンタウンがありその周囲やイオンのテナントに何件も飯屋があるのだが・・・

なんせ今日はよりにもよって日曜日。

只今はよりにもよって日曜の夕方。

パパとママが坊ちゃん嬢ちゃん爺ちゃん婆ちゃんを連れて練り歩く、日曜の夕方の地方都市のイオン・・・

すなわち 超 ア ウ ェ ー ゾ ー ン である。

何も、東北まで日曜日のイオンに揉まれに来たのではない。

オレはようやく走りはじめたばかりだからな このはてしなく遠いみちのくをよ…

みちのくひとり旅かよ・・・ジョージ・ヤマモト最高か・・・

ということで、件のラーメン屋で飯を済ませ、最寄りのファミリーマートで飲み物や菓子、明日の朝食を用意した次第。

■続く