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イスラエルや戦後系の戦車作ったり、おっぱいがけしからんフィギュア
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※自転車乗り始めてからババチビりそうな勢いで模型作ってないってそれ前から言われてるから(戒め)

FELTとANCHORと9S下駄の熱い三台体制(活用できているとは言っていない)

2023-09-05

伊賀鉄道 比土(ひど)駅

 

伊賀鉄道 比土(ひど)駅

訪問時期:2023年9月初旬

無人駅であり、自動券売機や乗車駅証明券発行機などは設置されておらず、旅客サービスはホーム出入口手前の電話ボックスぐらいで、自動販売機や公衆トイレは設置されていない。
公衆トイレはかつて存在したようだが、かつて存在した駅舎が撤去解体される際に併せて解体撤去された由。

令和2年に駅前の国道422号を挟んだ場所で営業するボルダリングジムが副駅名のネーミングライツ権を取得し、当駅の副駅名として駅名標にも掲げられたというニュースがあったが、2023年(令和5年)時点では契約が切れた?のか、その掲示を見ることはできない。

旧青山町の郷土史である「あおやま風土記」などによると、最盛期には駅長・駅員配置駅であるだけでなく売店や食堂、乗合自動車のターミナル、運送業者の倉庫などが構内や駅周辺に所在していたといい、関西本線・伊賀上野駅への旅客・貨物輸送も含めて旧青山町の一大交通・流通拠点となっていたことは想像に難くない。





立て掛けられている自転車は、伊賀鉄道サイクルトレインを利用した筆者の愛車。

プラットホーム上の屋根支柱が据えられている場所に違和感を感じていたが、このホームはかつては島式ホームであり、現在はブロック塀になっている箇所も旅客乗降スペースだった





ネット上で、鉄道ファンが60年代末期に撮影した近鉄時代の伊賀線・比土駅の光景を見ることが出来るが、かつては集合住宅のあたりに大型の倉庫が所在し、現行プラットホームの向いに残されたプラットホーム跡周辺には貨車を連結した電気機関車が留置されていたり、駅構内側線に貨車が留置されている往年の姿を確認できる。

当初は、向い側のプラットホームがかつての比土駅交換設備かと思っていたが、貨物側線とその貨物扱いホームだった模様。




ネットで検索した限りでは、保線車両の留置線や陸送されてきた車両の搬入・廃車となった車輛の解体作業場として使われているかつての交換設備跡。
車輛搬入時は駅敷地内の空き地にトレーラーやクレーン車が進入し、解体時は重機が進入してそれぞれ作業を行っていた模様。

伊賀鉄道の規模を考えると、保線はともかく新車の搬入や廃車解体作業が山手線や大手私鉄のような頻度で行われている訳もないので、このように雑木や雑草で覆われて廃線跡のような様相を呈しているのだろう。

ただ、それにしてはプラットホームから線路が離れすぎているので、交換設備廃止に伴って上記のような作業エリアとしての安全マージンを確保するという意味でも、プラットホームの廃止となる部分を物理的に削るなどの工事が為されたのだろうか

前述の60年代撮影スナップでは、この「側線」の隣、作業用プラットホームの場所にさらに最低でももう1本の側線があり、有蓋貨車?が留置され、近鉄のそれかどうかは不明だが建屋が存在するのが見えるし、旅客ホームも現在のそれより幅広に見える。





かつて駅舎が存在したであろうホーム出入口前の更地は、伊賀鉄道利用促進施策としてパークアンドライドによる伊賀鉄道利用者向け無料駐車場として開放されている(比土駅構内の留置線・作業ホームや旅客ホーム出入口通路とはフェンスで仕切られている)。
なお、屋根付き駐輪場などは存在しない。


今では簡易駅舎すらなく見すぼらしいとしか形容できない無人駅だが、かつての駅構内を示す境界柵で仕切られた空き地などを見るにつけ、今からは想像できないほど隆盛を誇ったのだろう。





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