このBlogについて
イスラエルや戦後系の戦車作ったり、おっぱいがけしからんフィギュア
作ったり、年中、体のどこが具合悪いと文句垂れるおっさん「サビ屋」のBlogなんやな・・・。
※自転車乗り始めてからババチビりそうな勢いで模型作ってないってそれ前から言われてるから(戒め)
FELTとANCHORと9S下駄の熱い三台体制(活用できているとは言っていない)
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2015-01-06
やる夫の自転車寄り道 藤八頌徳碑編
今日の寄り道は、櫛田川沿いで県道706号近く「藤八頌徳碑」ですお。
最寄りというには遠いけど、一番近い駅は近鉄山田線の櫛田駅か漕代駅ですお。
看板の内容を簡単にまとめると
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1822年(文政五年)、櫛田川の氾濫を何とかできないものかと考えた地元の老人「藤八」。
翌年の1823年(文政六年)。当時の堤防工事の際、自ら人柱となる。
生存を地中から知らせる為に携行した鉦の音がしなくなった三日目で死亡したものとされている。
114年後の1937年(昭和12年)。
櫛田川の堤防大改修工事の折。「藤八翁を生き埋めにした」とされる場所から、遺骨と生存を地中から知らせる為に携行した鉦(かね)が発見され、「藤八翁の人柱」が地元のあやふやな伝承ではなく事実として明らかになった。
遺骨と鉦は、地元の寺に保存されるも、昭和20年の火災で焼失。
藤八翁の地元LOVE、ガチやべえ(賞賛)
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となっています。
ちなみに、宮川の人柱として有名な松井孫右衛門は、藤八翁よりもさらに200年前の1633年と言われています。
だからといって、どっちがどっちよりエライ・エラくない なんて言うつもりはないけどね。
その最期を想像するに、それは尊いものとしか言えないわ。
で、翁の人柱原地自体は石碑からさらに櫛田川側に寄った場所だけど、なんか余所様の農場の敷地内っぽいんで、公道からそれらしい場所を眺めるだけにしておいたお。
下の画像で言うところの「左側のビニールハウスのさらに奥」あたりがそのハズだお。
さて、現地へのアクセスですけど、三重までわざわざ鉄道で来て、この辺りでこういう史跡・旧跡を回りたいなんてモノ好きは松阪駅か伊勢市駅、宇治山田駅あたりでレンタカー借りた方が利口じゃないかしらね。
通勤時間帯の7時~8時半と17時~20時さえやり過ごせば、県道37号もそれほどオタッシャ重点じゃないしね。
場所自体は、下のGoogle=サンをキャプッた画像で言うところの「神麻績機殿神社」の左側にある赤マルのところ。
藤八翁頌徳碑への道路看板は特にないけど、神麻績機殿神社への標識はあったと思うから、ナビを使うにしろ神麻績機殿神社を目印にするといいんじゃないかな?いや一般論でね?
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